クオンツの帝王:ジム・シモンズ氏が2024年5月10日に死去

ジム・シモンズ氏 2007年撮影

クオンツの帝王、ジム・シモンズ氏が86歳で死去

ルネサンス・テクノロジーズ を作った数学者で投資家のジム・シモンズが86歳で死去。彼の慈善団体の発表によると死因は明らかにされてはいない。

クオンツ投資のパイオニア・数学者・慈善事業家…などいくつかの顔を持つシモンズ氏。偉大なルネサンス・テクノロジーズ、そして主力ファンド「メダリオン」(そのパフォーマンスについてはこちらを参照:『偉大なファンドマネージャーたち』)の生みの親の生涯とはどんなものだったのか?



数学の天才

ジェームズ・ハリス・シモンズは1938年4月25日、ボストン郊外で生まれた。3歳から数学が得意だった彼は、ニュートン高校を3年で卒業。マサチューセッツ工科大学(MIT)では、わずか3年で1958年に数学の学士号を取得した。カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得する傍ら、サンフランシスコにあるメリルリンチの証券会社で大豆の先物取引を行い、初めての投資を経験。



冷戦時代の暗号解読

1964年、ハーバード大学で教鞭をとった後、シモンズ氏はニュージャージー州プリンストンに移り、国防分析研究所で高給かつ極秘の仕事に就いた。この非営利研究機関は旧ソ連が使用する暗号や暗号を解読するため、アメリカ国家安全保障局をサポートする数学者を雇っていた。この仕事を通じて、シモンズ氏はコンピュータアルゴリズムの可能性を知ることになる。職員は時間の半分を個人的な仕事に費やすことが許されており、彼はその一部を株式市場の短期的な動きの予測に費やしたのだった。



コモディティのトレード

その後、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で数学科の学科長を務めるかたわら、暗号学で築いた人脈を利用して、彼はは再びトレーディングに手を出した。当初はコモディティを売買し、需要と供給といったファンダメンタルズに基づいたものの、価格を統計的に予測する方法があると考えた彼は、徐々にモデルを構築していった。



1978年にシモンズ氏は学術界を去り、資金運用の道に進んだ。彼はストーニー・ブルックのすぐ東にあるセトーケットで、ルネサンスの前身であるMonemetrics社を設立。旧友であり、暗号学の仲間に自分の取引口座、アクスコム社を設立させ、最終的にメダリオンが誕生することとなったのだ。メダリオンの最初の2年間は芳しくなかったが、1990年に短期取引に特化した結果、手数料差し引きで56%のリターンを記録し、その後もパフォーマンスが落ちることはなかった。



ルネサンス・テクノロジーズの企業文化

これまでのウォール街のやり方に倣うことなく優秀な科学者や数学者を雇って、市場を読み解くことで莫大なリターンを上げることとなったファンドでのシモンズ氏の重要な仕事は、ルネサンスに集まってくる、しばしば風変わりな従業員たち(総勢300名)をどう奮い立たせるか、という点にも及んでいた。市場の上昇と下落の理由を解明するという複雑な問題は、高給と彼が作り上げた共同体意識と同様に、ひとつの魅力だった。



その企業文化を「オープンな雰囲気」と母校のMITでのスピーチで語った。「私たちは、みんなが他のみんなが何をしているのか、早ければ早いほどいいと考えています。それが人々を刺激するのです」。彼は慈悲深い父親役を演じ、バミューダ、ドミニカ共和国、フロリダ、バーモントへの社員旅行を企画し、社員には家族同伴を奨励したという。



慈善家としての顔

シモンズ氏は2010年に最高経営責任者(CEO)を退任し、2021年には会長を退いた。彼は財産の大半を慈善団体に寄付することを約束。1994年に設立したニューヨークを拠点とするシモンズ財団は、数学、科学、自閉症の研究を支援している。また、ニューヨーク市の公立学校の数学と科学の教師に奨学金を支給する『Math for America』も設立した。彼はストーニー・ブルック大学の基金に5億ドルを寄付したが、これは米国史上最大規模の高等教育への寄付のひとつである。



「ジムは、数学者として、トレーディングにおける定量的手法のパイオニアとして、そして慈善家として、まったく驚くべき3つのキャリアを歩んできた。「彼は我々の時代の偉大な人物の一人だった」。


記事(外部サイト)

www.bloomberg.com/news/articles/2024-05-10/jim-simons-quant-king-at-renaissance-technologies-dies-at-86

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